SEXストライキの切なさ

昨日から、Twitter界隈で、「戦争ラブな男とはHしない女の会」(http://sexstrike.seesaa.net/article/396057411.html)

なるものが発足したと騒がれていた。

 

この試み自体、ネタなのか、はたまた本気なのか推測しがたいものがあるが、私自身これを見て、ある種の切なさを覚えずにはいられなかったのだ。

 

セックスストライキに現れる、女性主体のセックス拒否による男性の思想改変を求める態度を見て、結局この方々にとっては、過激な言い方をすれば自らは「膣を貸してやってる女」でしかないのかなと思ってしまったのだ。

セックスって別に、女性が男性に従属している行為ではないだろうし、「その従属関係を崩してやったらお前ら性欲処理に困るだろう!この野郎」ってスタンスどうなの?

 

戦争支持者の男性とは、セックスをしないことによってしか、対話可能性(これ自体放棄してしまっている)はないのだろうか。

 

セックスを拒否すると宣言してしまう行為によって、さらに男女の階層性が再生産されてしまっていることに無自覚なのだろうか。

 

また、日本におけるフェミニズムってこんなもんだって思われてたらそれはそれでまた悲しいのである。

 

 

 

余りにわれわれは無力であるし、今日も生き抜こう。