中国で文化資本について考える

まず、社会学における、文化資本というジャーゴンについて、僭越ながら解説したい。

 

(そもそも、Pierre  Bourdieu (以下、PB)の読解に関していえば、まず私は仏語を介さないのと、日本で宮島喬や加藤晴久、山田鋭夫によって訳されている訳書を通して学習したということをまず断っておきたい。)

 

社会学小辞典では、PBの文化資本概念に関して以下のように説明されている。

 

所与の社会的場面(学校教育、職業生活、社交生活等)において行為者およびその集団が動員しうる文化の有利さ(有効性)の大小を指していう。それは個人的な能力や性向ではなく、社会環境の下で伝達される能力や性向であるから、通常、特定社会集団や社会的カテゴリーについて文化資本の大小、様態が論じられる。たとえば上層階層の子弟は、その家庭内の会話や目に見えない教育を通して抽象言語に接し、芸術に慣れ親しみ、それらを文化資本に転じることで、しばしば学校生活を有利に送ることが指摘されている。

 

例えば、私の北京大学におけるもっとも仲の良い先生と先日授業後に立ち話をしていて、驚いたのは、彼女の両親はともに北京大学卒業だということだ。

特筆すべきは、彼女自身は文革の少し後に生まれた人間だということである。

北京大学卒業生のご両親はいかに中国で生活しづらかっただろうか。おそらく、知識人として当時は辛酸をなめたかもしれない。

しかし、彼女は北京大学に入学し、卒業後にすぐドイツに社会学を学びに留学し、最近帰国して専任講師として北京大学で教鞭をとっている。

 

彼女の両親は北京大学を卒業したからといって、裕福になれるわけでもなかったが、一人娘の彼女は家庭内において、両親の薫陶を受けた。また、当時中国において、社会学を学ぼうという志を持つこと自体、奇怪であるし、そのあとドイツに渡航して博士を取得するにいたった構造に興味がある。

 

結果的になんと、豊富な文化資本を得たことだろうか。(彼女の趣味は、クラシック音楽である。)

 

文化資本というと、「経済資本に支えられたものでしょ?」と勘違いされがちであるが、必ずしも大金持ち(成金:中国では土豪)の子供が、当時の学校文化に親和的な文化資本を身につけるとは限らないのである。

 

 日本の場合だと、わが大学のように、豊富な文化資本を有していることと、ふんだんな経済資本を有していることは両立する場合が多いと思う。

 

しかしながら、中国は革命を経験し、文化資本と経済資本を両立させていたタイプの人々が、体制によって底まで下げられた。

このような転換が、80後、90後の世代にまで下って、どこまで押し戻されたのか。

 

私自身、中国人の同学を見ていて、日本以上に家庭背景に多様性があると感じるし、また個人のハビトゥスも画一ではない。 

ただ、これは個人的な雑感の域を出ないので、以後要観察。