ブログを始めたらもうおしまいだ

中学、高校時代の流行のホムペ(黒歴史)から、いまに至るまで、数々のSNSを利用してきたわけだが、大学四年にもなってブログを始めたら人生おしまいな気がします。

 

普段生きているだけで、多くの人の反感を買い、また自らも世の中に憤懣を抱き、ただでさえ生きづらいのに、また懲りずに社会に出ようとしている。

 

おそらく、人間の承認欲求と自己愛だけはどうしようもないのである。(この承認欲求を見たいと思ったら、大学のOBOG会に参加するといいです。そこは、まるで動物園のごとく、若者に成功体験を語り、「俺も若いころ苦労したし、お前らも俺みたいにすれば小金持ちにはなれる」と大演説をかましてくれる方々を拝見できます。世代間格差なんて言い出さないようにね!)

 

私自身は、日本でもともとOLをしながら、月一回ネイルサロンに通い、毎週女子会に参加していたのですが、ひょんなことがきっかけで、なぜか海外に飛び、何の役に立つかわからない社会学(理論)の勉強をしています。

 

この国における、社会学のあり方はまあまあ面白く、Sorokinを読んだり、Giddensの初期の著作を読んだりと、日本にいたころとはまた違った勉強をしています。

 

誠に恥ずかしながら、本来社会学に思い入れなどなく、前期大学入試が失敗し、社会学を始めることが決定した時、「私の人生はもう終わってしまった」と思いましたが、勉強すればするほど怒りっぽくなったことを除けば、社会学は私の性質にあっていると感じています。

 

最近、日本にいる友人が就職活動をしていたり終了していたりと、就活に関係のない私に連絡をくれるのですが、話を聞けば聞くほど、

「誰が人の能力を測定することができ、その測定の基準はどこに存在しているのか、まして能力とは何なのか」という問題にぶち当たります。

 

「できる奴は、見ればわかるんだ!」オジサンを除き、結構多くの人がこういう問題意識は共有していて、日本にも山ほど就活研究は蓄積されています。

 

 

あまりに嫌いな言葉すぎて、書きたくもないですが、コミュ力なんていうのも、ばかばかしい概念に間違いありませんが、就活を終えた友人に聞くと、「確かに存在する」なんて言うので、まあ実際に就活をしてみるか、本腰で就活研究するまで「能力測定の正統性」は語れないかなと考えています。

 

とりあえず、私は最近ますます研究者になるには頭が悪すぎるという自覚を強めているので、なんとか道を間違えないように、一般企業に就職することができるように願っています。

 

どうか、私を社会学という魔物から早く切り離し、現行の社会制度に怒りを抱かない穏健にこやか真人間にしてくれ、神よ。アーメン。

 

 これからは、こちらで読んでいる文献や授業の紹介、また社会不満の発露としてこのブログを活用できればいいかなあと思います。

 

世の中、自分以外みな先生、みなさまご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。