雑感

厄介なことに足を突っ込まないと生きていけない性質のせいか、日々悩みは絶えない。

また最近では、少し離れた日本に歴史的大転換が訪れていることを、異国でぼーっとしながら見つめるほかなく、無力感すらある。

あれだけ日本がいやになって、海外に飛び出してきたけれども、わずか数か月でこんなに恋しくなるものか。

「母国」とは常にアンビバレントな感情を抱かせる存在である。

 

2014年になっても、女性が声を上げると、理不尽な言いがかりを吹っ掛けられる母国の様子(都議会でのヤジ、またそれを取り巻く言論の根底にあるミソジニー)をみて、「私が生まれた国は、こんな国なんだ」という諦観にも似た感慨を抱くのは私だけではないだろう。

 

そこで生まれて、そこで育ってきたからこそ、離れがたい母国に愛着ももちろんあるし、飽き飽きしてしまうこともある。

 

まあ、ただ留学して思ったのは、日本にも居心地がいいところは少しはあるということだった。

中国人や韓国人の学生と触れ合うと別種の構築された男女観を持っていることに気づくのだ。以下は、私がたった半年で出会ったサンプルに過ぎず、これに対して価値判断を自分自身でも下すつもりもないということを宣言しておく。いい、悪いの話ではなく、「各社会で構築されたジェンダー観がありますよ」ということを言いたいだけだ。

 

例えば、中国人の学生の場合、私が男子学生と構内を歩いているだけで、「中国人の彼氏ができたの?」と連絡してくるクラスメート(女)もいた。彼女に、なぜそう思ったか聞くと、「一緒に鍋料理を食べているのを見たし、それはカップルのすることよ」と言われた。なんじゃそりゃとしか言いようがない。

 

男子学生も男子学生で必ずと言っていいほど家に帰るまで日中でも送り届けるし、日本人男性のほうが対等に友人関係を築いているという感覚が私にとって強い。

 

さらに言えば、韓国人男性の場合、もっと女性を保護すべきという考えが強いように思われ、ご飯に行っても女性へのおごりは当たり前で、女性が荷物を持っていると、自分が持つように申し出る。

そんなに重くもない荷物でもだ。

男女交際の様子を見ていても、彼女が彼氏にする注文は結構奇怪で、男性側が遊びに出かけると女性側から「あそこのケーキと、あそこのタピオカジュースを買ってきて」という連絡が来て、食事後に買いに行くことも見かけた。

もちろん、こういうカップルは日本にもいるだろうし、「韓国人だから」ということだけで語れないが、男性側も女性側もそれを当然とみなしていることに目を見張った。

 

日本で生活していて、制度的な不備を無視したまま男女平等の実現がまるで達成されたかのように喧伝する風潮には嫌気がさすものの、ある意味「ゆがんだ」ジェンダー観を突き付けられることはなかったなあと思う。

 

以上のように、私は結局どこの国にいても毎日ぶーぶー言っている不平たらたら人間なのである。