古市憲寿 『だから日本はズレている』を読んで
今話題の新刊を読んでみた。
私自身、著者の本を読むのは初めてではなく、『希望難民ご一行様』ぶりである。
大学一年か二年の夏に読んだ覚えがあり、当時は居酒屋やマッサージ屋さんにまで貼ってある謎の「世界一周旅行」案内の中身を知れた気がして、謎が解明したすっきり感と、またセカイ系に代表されるような若者の姿を本の中でも触れて、「なんだかなあ」という気分がしたものである。
さて、今回の本はどうか。
著者のニヒリズムが以前にも比べて、増していて、本の随所で笑わせてもらった。
「「クールジャパン」を誰も知らない」の章では、金美齢が「日本のパンとスイーツというのは世界一」とクールジャパン推進会議で発言し、会議のたびにほかの議題に移り変わってもスイーツの話をしてしまうという行動が紹介されていた。
関西系のテレビ番組「やしきたかじんのそこまで言って委員会」で彼女をよく見ていたが、私もそこまで彼女がスイーツ狂いだとは知らなかったため、勉強になったと同時に、貴重な脳のメモリーが奪われてしまった感覚に襲われた。
個人的に、29歳という堂々と若者代表を名乗れるのかどうか怪しい年齢ではあるものの、歯に衣着せぬ彼の論法は好きなので、この本も一気に楽しく読み終えた。
以下その感想(というか、ほぼ疑問と反論)である。
1、90頁あたりで記されている「監視社会って便利だし、最高じゃね」論に関して。
著者は、今後の日本社会のあらゆるサービスが一元的に管理され、監視社会が成立することを期待している。
著者は、今後訪れるかもしれない監視社会について「なんて便利で快適で安全な社会であろう。監視というのは、自分で情報を提示しなくても、誰かが管理してくれていいる状態のことだ。」と記している。
まったくもって、おっしゃることは正しい。
小さいころに私がたまに帰りたくなるのは、実家の中で、両親の保護のもと、生活のあらゆることが管理され、それに対して、自らは思考を停止したままで彼らの言うことを聞いておけば「間違え」がなかったからである。
もちろん、それには両親がわたしに悪意を持たず管理及び監視をしていたという前提がある。
あんなに、楽に生活を送ることができた時代も私の人生の中でなかなかない。
確かに、生まれて間もないころからだいたい3,4歳まで私は幸せだったような気がする。
しかしながら、読者の皆さんもおそらく古市自身も承知の通り、監視社会はバラ色ではないのだ。
その肝にあるのは、何であったか。
「身体の従順」である。
ミシェル・フーコーが言った通り、監視社会において、恐れるべきはあらゆる巧妙な我々を取り巻く監視装置によって、肉体が訓練され、我々がいつの間にか規則を内面化してしまうことにあるのだ。
何かのまなざしを意識することによって、任意の規則をきわめて自然に受け入れていく過程は、フーコーも警鐘を鳴らすように恐れるべきなのだ。
あらゆるものを疑わなくて済むなら、どれほど生きやすいかと私自身思うが、「誰もが所与のものを疑わなくなった社会」とは健全な社会と言えるだろうか。
この世に、「絶対的な正しさ」が存在し、またそれが唯一のものであるならば、歓迎してもいいだろう。
ただ、そんなものは国家権力といえども所有しておらず、どこかに転がっていることもなだろう。
何らかの集団による支配を正当化するにきわめて有効な言説「イデオロギー」をわれわれが内面化することに「成功」した日、どんな終結が待っているのか。
2、191頁「「若者」に社会は変えられない」の章における、「若者にとって、貧困とは未来の問題だ」という文言に関して。
著者がこう述べるのには、著者なりの考えがあるからだ。
「20代のうちは体も健康だし、親も元気な場合が多いし、世代内収入格差も少ない。しかし、40代、50代ともなれば自分の体も弱るし、親も老いてくる。同世代でも「成功者」と「落伍者」がはっきり分かれる。」という前提に立って、著者は、若者にとっての貧困を未来に置く。
ただ、この前提がきわめて限られた集団にしか当てはまらないにも関わらず、著者自身も疑いもなく書けるほど一般的なものとして受け入れられていることに問題は存在する。
現在の日本社会において顕在化している貧困の根底にあるのは、世代格差と階層格差が組み合わさった問題なのである。
著者の前提は、おそらく今の日本で言えば、年老いてもなんとかSurviveできる層に当てはまるであろう。
脱法ハウスで寝泊まりする若者にとって、また非正規雇用を渡りあるき、ワーキングプアから抜け出せない若者たちにとって、貧困は未来の問題ではなく、切迫した現在の問題なのである。
生まれた家庭によって、かくも階層が固定化され、流動性も小さくなった日本において、「平成の田中角栄」のようなサクセスストーリーは生まれにくいし、立身出世なんて出世する必要もない恵まれた階層の若者の座右の銘になってしまった。
以上、『だから日本はズレている』を通読して、著者自身が結構おめでたい人間であるのだという感想を持つに至った。